2009.6.20 (sat) @ LIQUIDROOM ebisu, Tokyo
ACTs : SUPER JUNKY MONKEY / WRENCH / ジェイソンズ
シンガー623こと高橋睦が他界して10年。一夜限りの復活となるこの夜のライヴには、同じく10年の年月を経て多少老けたり太ったりしたオーバー30~アラフォー世代が集まっていた。メンバー自身が現在渡米したり子供を持ったりしているのと一緒で、誰もが昔とは違う環境にあり、もしかしたら親しい人を亡くしたりもしているだろう。だが、「追悼ライヴ」という言葉にありがちなしんみりムードが少しも、というか笑えるくらい皆無だったことが、とてもSUPER JUNKY MONKEYらしかった。男性主体のロック・シーンの中でも特にマッチョ指向の強いハードコア/ミクスチャー界隈で、女だてらに頑張ってんのよ的なアピールをいっさいせず、いつでもあっけらかんと爆音を鳴らしていた彼女たち。結論から先にいえば、この夜の3人のスタイルは昔のそれと何ひとつ変わっていなかった。
ジェイソンズ
WRENCH
同じく一夜限りの復活を遂げたジェイソンズが、暖かい野次と歓声を受けながらファンキーな横ノリのグルーヴを轟かせ、続くWRENCHはミニマル・テクノを飲み込んだ爆音で観客を制圧、現役バンドの意地と貫禄を見せつける。サウンドはもはや全然違うが、ジェイソンズもWRENCHも、そしてSUPER JUNKY MONKEYも、90年代には近しい志を持って走り続けていた。オルタナティヴという概念に感化され、ラップもファンクも何でも取り入れる。ただ取り入れて黒人気分を味わいたいのではなく、全部飲み込んでまったく新しい生き物になってしまいたい、それこそがロックの新しい自由だと信じていられた時代の盟友だ。ミクスチャーがいちジャンル名として定着してしまった現在、このニュアンスがうまく伝わるかどうかわからないが、当時のミクスチャーはオルタナと結びついた革新的な精神であり、これまでロックとは何か違う自由を求めようとする心意気そのものを指す言葉だったのだ。
だから彼らは白人特有の平坦なビートを嫌い、とにかく身体を突き動かす躍動感を求めた。結局いいメロディが残るのですなどと保守的なことを言わず、扇動的な叫びや言葉を徹底的に投げつけた。そのことを、10年ぶりにステージに立つSUPER JUNKY MONKEYから改めて教えられた。
シンガーの不在は歌ものバンドにとって致命傷だが、3人が交互にヴォーカルを取りながら進むステージは、今も昔も寸分違わずグルーヴィでハイテンション。心と身体を楽しく解放させるには、強いリズムと高揚するアタックさえあればいいのだ。ヴォーカルをないがしろにした意見に聞こえるかもしれないが、否。3人のタフなリズムに支えられて飛び回ることで"自由"の体現者となっていた623の姿は、開放的に跳ね回る観客全員に乗り移っているかのようで、満員の客が笑顔を浮かべて踊れば踊るほど、彼女の存在の強さが改めて思い起こされる。だから、ステージとフロアの区別はほとんどなくて、リキッドルーム全体がSUPER JUNKY MONKEYそのものになっていたというべきだろう。しみったれた空気はゼロ。まったくすがすがしいほど突き抜けた、どこまでも彼女たちらしい復活劇だった。
Text : Eriko Ishii
Photo : Wataru Umeda