Hi-STANDARDの活動停止から約10年。沖縄へ移住してTYUNK、ULTRA BRAiNなどの名義で活動してきた難波章浩-AKIHIRO NAMBA-が、ついに自らの名前で初めてのソロ・アルバム『THE WORLD iS YOURS !』を完成させた。ハイスタを思い出させるポップ感あふれるパンクやロックから、活動停止後に傾倒していったテクノ、ハウス、エレクトロなどのダンス・ミュージックまでを難波章浩-AKIHIRO NAMBA-というフィルターを通して投影した集大成的な作品に仕上がっている。その新境地へと至った軌跡を、ハイスタ時代から現在までを1万字にわたる難波章浩-AKIHIRO NAMBA-の言葉でたどっていく。

Interview & Text : Dai Onojima
Photo : Ryo Nakajima (SyncThings)

■難波章浩-AKIHIRO NAMBA- インタヴュー

──Hi-STANDARD活動停止後、10年たって待望のソロ・アルバムのリリースですね。今になってやろうと思った経緯を教えてください。

難波 :
ぼくはハイスタ以降沖縄に移住して、TYUNKという名義でミニ・アルバムを1 枚、ULTRA BRAiNでアルバムを出して。自分の音楽を作品で打ち出していくことは、一貫して続けていたから、今回やっとそのタイミングが来たということかなと思うんですね。


──今まで難波章浩名義でやらなかった理由はなんでしょう。

難波 :
えっと、まずはハイスタでベースとヴォーカルという、究極アナログの感じでずっとバンドをやっていたわけですよ。それからエレクトロニカを取り入れて、音を打ち出すってなると、デジタル感を取り入れるのに時間がかかったんです。 TYUNKとULTRA BRAiNのときには、パートナーがいたんですね。だから、自分のなかではあの当時、難波章浩名義では出せなかったんですよ。自分の意識的なところで。


──ひとりでやっているという実感がまだ持てなかった?

難波 :
……曲は自分で作っているし、フレーズとか全部自分のものなんだけども、なんていうのかな……ぼくはやるなら、とことんまでやりたい、自分でやってみたいと思っていたから。ULTRA BRAiNのみんなが東京に戻って、ぼくは沖縄に残って、かみさんと子供と。ULTRA BRAiNから4年経つわけなんですけど、この4年間はとにかくソフトやレコーディング技術や機材のことを覚えたり、そっちにものすごい時間を費やしていたので。そういうスキルが身についてきて、やっと自分の打ち出している音楽が、自分の音として、自分自身でレコーディングができて、自分で表現できるってところまで来たから。やっと自分の名義で出そうという気になったんです。ひとりの難波章浩というアーティストとして、今回は自分の名義でいけるなという自信が沸いてきたということですね。


──ご自分の名前を出してやる自信、ノウハウがつくまでに10年の歳月を必要とした。

難波 :
そうですね。かかりましたね。


──その10年間は難波さんにとって、どういう年月でした?

難波 :
振り返ると楽しかったですよ。とにかく20代でハイスタ突っ走ってきて。沖縄っていう環境で、大自然の海の前で音楽を作ってたり子育てをするという時間は、ものすごく貴重だったし。これからの人生のほうが長いわけだから、いまその自分の目指すものをゲットできたら、これからも音楽活動を続けていけるだろうなと思っていたんで。当時ハイスタが活動休止になってから、ぼくが本当に再び世の中に出てこれるのは、10年後ぐらいだろうなって、本当に思っていたんですよ。逆に、10年くらいかけなきゃ、熟成されたものができないだろうなって思ってた。


──ハイスタでの密度の濃い、テンションの高い活動の反動というか、脱力感みたいなものはあったんですか?

難波 :
あ。それはないですね。次に向かっていくぞというところはあって。ぼくがやったことは3年間かけてスタジオを作ってみたんですね、自分で手作りで。音楽から離れるっていうことはいうのは、あんまり想像したことがなかったですね。


──常に音楽はそばにあったけど、態勢を整えるのにそれだけの時間が必要だったと。

難波 :
そうですね。まあ言ってみたら音楽しかなかった、かな。音楽に助けられた。音楽に励まされて、もちろんハイスタも聴いていたしね。そのハイスタで自分が歌っていたメッセージに励まされちゃったときもあったし。自分から音楽を発するって、やっぱりすばらしいなって、思いましたよ。音楽って、音楽を奏でるってなんだろうなとか、そういうことは強く意識していましたね、沖縄では。だから向こういくと沖縄の民謡で、三線一本、歌一発でも、ものすごいパワーを発揮する人たちをたくさん見て。音楽ってすごいなって、思いましたよね。


──ただ、レコード会社作成の資料によれば、「歌うことができるまでに時間がかかった」とおしゃっているんですが、これはどういうことだったんでしょう?

難波 :
これはですね、ハイスタのフロントマンとして歌っていた自分が、ハイスタの声を持って、Hi-STANDARDじゃない自分のヴォーカル・スタイルであったり、モノを作る必要があるのかな、と。ハイスタ以外のところで歌う意味ってなんだ、っていうところが整理をつくまで時間がかかったのかな。それでハイスタのメンバーの横山(健)くんと恒岡(章)くんの活動を見てると、彼らはどんどん自分の城を築いていってる。ちょっと待て、ぼくはハイスタを待ってんじゃないのかなと思って。でもハイスタを待っているだけではいけないな。と思ったんですね。待っているだけでは前に進まないんだなって思って。


──「待っている」というのは、再結成という意味ですか?

難波 :
ん〜、ただそのためにヴォーカルをとっておく、自分のヴォーカルの声をとっておくってことを、続けるんではなくて…どんどん自分で形を生み出していくことによってみんなに評価してもらって、あの二人にも。そのうえで、難波はああいう音楽をやっているねってなってから、何かが生まれるんじゃないかなと思ったんですね。そっちまで行くのに時間がかかった。ほかにメンバーを入れてバンドを組むって発想もあるんだろうけど、ぼくはそれがなかったんだよね。


──この声はハイスタでこそ生きる声である。

難波 :
そうですね。ハイスタで生まれたものだから。それをほかに当てはめるって発想がなかなか生まれなかった。


──いまさらこういうことをお聞きしてどうかわからないですけど……

難波 :
いいですよ。


──そこまで大事だったハイスタをやめてしまった理由って何なんですか?

難波 :
やめちゃったっていうかね。止まっちゃったんだよね。その理由っていうのは、一言で運命なんだよね。いろんなバンド、いろんな音楽をやっているアーティストっていっぱいいるじゃない世の中に。バンドってやっぱり一回組んだらすげーテンションとすごいパワーを生み出すわけなんだけど、それを一生続けるって約束は、やっぱりメンバー間ではできないんだよね。みんなさあ、突っ走っていくわけよ、後先考えないで。それがハイスタだったわけで。あの10年一括りっていうところが、いったんハイスタの締めくくりだったんでしょうね。


──続ける選択肢はなかったわけですか。

難波 :
そうですね。もちろんいろんなことは考えて、いろんなヴィジョンも見たけど、ぼくはなかなかこう、ポンって、あれがとまったからじゃあ次、ってシフトはできなかったですね。それまで時間をかけようと思っていた。突っ走ってきたから、沖縄行って一旦ね、一回ゆっくり歩いてみようかなって、思ったんですよ。とにかく20代は思いっきりもう、世界中まわったりしてね、日本も何回回ったかわからないくらいだったから。本当にね、だから何も分からなかったのよ、正直。自分もなんとか音楽はやれて歌えるけど、人として自分ってどうなのかな、とかね、これから年を重ねていって、音楽とどう付き合っていくかとか、難波章浩っていうぼくの自分の人生は、どうなっていくんだろうとかね。いろいろ思ってましたよ。それはもう前を向いてね。それで子供ができて、家族ができて。


──年取った自分を想像したりして。

難波 :
もちろん。そこも素早く想定していって。そのときにやっぱりね、デジタルの世界っていうものが自分には必要なんじゃないかなって。


──もともとダンスミュージックとかお好きだったんですよね。

難波 :
そうですね。フジロックでもUNDERWORLDでよく感激したりとか。


──そこらへんの音楽的な食い違いみたないなものって、あったんですかね?

難波 :
いやいやいや、それはないですね。そこはもう、Hi-STANDARDっていうキャラクターは、自分のなかでのひとつの要素なわけで、みんなもおのおのもそうなわけで、そのクロスする最大公約数がハイスタだったわけでしょ。みんな個性があるわけだから。


──そのハイスタ後に、自分が歌うということに対して、新たに葛藤があって。それはどういう風に解決していったのですか?

難波 :
ハイスタで歌ったことはものすごく、人生の中でも大きな出来事だったのですけど、でも元を正せば新潟にいたころから、高校のときからバンドのヴォーカルやっていたり、歌うこと自体はやっていたので、やっぱり自分の根源にあるのは、歌うことなんですよ。なのにハイスタがどうだとか、自分の中で考えすぎちゃっていたのかなと。その整理をするまで時間がかかったけど、今になってみるとそう思いますよね。でもその時間があったからこそ、いまがあるんだと思うし。


──ULTRA BRAiNのころも少し歌ってますが、あのころはまだ整理しきれてなかったわけですね。

難波 :
ULTRA BRAiNのときは壁に向かっている段階というか。何か大きな壁。


──それは何なんですか?

難波 :
なんなんでしょう?試行錯誤しつつの、その途中、過程をみせたかったんだろうね、ULTRA BRAiNでは。過程を見せることもぼくは大切なんじゃないかなと思って、よく「ULTRA BRAiNはわからない」とか言われたんだけど(笑)、ぼくは最高にすげーのが出来ちゃったって当時思っていたし、過程を見せることもリアルにロックなんじゃないかなって、思うんですよね。


──ファンはちょっと戸惑ったかもしれないですね。

難波 :
どれが完成形かっていったら、いまもそんな完成形じゃないのかもしれないし、常に未完成なのかもしれないじゃないですか。だけどそこは自分の考え方次第で、どんな音楽をやっても、アコースティック・ギター一本でアルバムを出しても、すげーって思われれば、思われるだろうし。ぼくが本当にやりたかったことは、テクノを取り入れたものだったんで。ハイスタが行き詰ってからですよ、それは。どうもぼくは一本のことしかできないタイプみたいで。


──ああ、並行していろんなことはできない。

難波 :
ええ。これからはできそうな感じがしますけど。


──じゃあその、歌うことに関して葛藤がなくなってきて、歌うことによって、何を表現したいと考えていますか?

難波 :
いまは、大人になった自分。そしてその壁を乗り越えたことによって、経験したこと。それを伝えたいですね。


──大人になって何が変わりました?

難波 :
そうだな、やっぱりいろんなことが見えるようになって来た。たとえば世の中の仕組みであったり。


──チベットのチャリティーの運動とかもされてましたよね。

難波 :
そう。前は漠然としたことしか分からなかったのだけど、どうしてそうなっているのかとか、なんとか理解できるようになってきているから。そういうところを具体的に伝えるんじゃなくて、音楽を通すことによって伝える表現っていうのは、ぼくのできることなんじゃないかなって思ったんで。


──お子さんができたっていうことも結構大きいんじゃないですか?

難波 :
大きいですね。今回のアルバムは子供たちにも聴いてもらいたいんですよね。自分の子供──小学校1年生なんですけど──にもいいなって思ってもらいたい。ぼくの母親ぐらいの年齢の人たちにも聴いてもらいたいし、聴けるように意識したんです。前は結構、ハイスタもULTRA BRAiNも、こういう人たちに届けばいいなってフォーカスして作っていた感じだったんですけど、今回からそういうところは取っ払われた感じがするんですよね。


──前はどういう層に向けて作っていたんですか?

難波 :
やっぱり、パンク・ロックにこだわりがあったのかな。


──パンク・ロックということは若者っていうことですか? 若者対象っていうこと?

難波 :
そうかもしれない。ぼくは今度40歳になるんだけど、大人になってしまった。これから青年たちの気持ちもわかるし、大人の気持ちもわかるっていう、いまそういう、間に居るような感じがするんですね。そこを純粋に届けたいと思うんですよね。やっぱりメッセージはどんどん変わっていっていいと思う、っていうのがぼくの発想かな。


──今回のアルバムを聴かせていただいて、ようやく難波さん戻ってきたのかなと。"戻ってきた"という表現が適当かどうかわからないですけど。

難波 :
いいと思いますよ。


──逆に言うとここまでに戻ってくるまでに10年間かかったんだなと。それだけハイスタでの活動は、重いもんだったんだな、と思いました。

難波 :
そうですね。やっぱり、でかかったね。で、なんかこう、フロントマンとしてハイスタ超えなきゃなあ、とか、ハイスタ超えたすげーのをみんなに聴かせねーとアレだなあとかさあ、そういうところに変な力がはいっちゃってたところが、ありましたけどね。


──たとえば横山さんなんかは、非常にエネルギッシュに、迷いなくやれてるように見えるわけですが。

難波 :
やあ、すばらしいと思いますよ。一貫して何かをつらぬくのは、本当にすごいと思いますよね。実際、集合体としてのPIZZA OF DEATHをぼくは抜けちゃったわけだから。そういう意味では、彼はそれをずっと続けているわけじゃん。前に進めているっていう意味ではね、すごいなって思いますよね。すげえパワーだと思いますよ。


──そこで立ち止まって悩んでしまうのが難波さんらしいところなんですかね。

難波 :
そうね。歌っていたからかな、バンドのヴォーカルが、次に進むのって、すごい大変かもね。


──歌うことによって、ある種のメッセージをお客さんに向けて発信していたし、その責任感みたいなものも当然、あるわけですよね。

難波 :
そうですね。それをファンの人たちに、ハイスタのファンの人たちに、心配かけちゃったりしたこともあった。心配かけちゃって、申し訳ないなって思ったときもあったけど、当時何にもメッセージを送る手段も何もなかったんですよね。 mixiもないし。


──お客さんに向けて語りかけるチャンスがなかったってことですか。

難波 :
PIZZA OF DEATHを離れちゃったからね。んー、だけど、そうだな……ぼくは、そのときはなんかこう、何も言えなかったっていうのが正直なところですね。理由がわからなかったんですよね、ハイスタが止まったことにすぐには整理がつかなかったんです。


──そうなんですか。じゃあ必ずしも難波さんの本意ではなかったということ?

難波 :
本意ではなかったね。びっくりしちゃったんですよ、続くと思っていたから。まさかあの絶頂のときにね。


──普通はそう思いますよね。

難波 :
ぱーんといっちゃったわけだから。すげーな運命はと。人生ってすごいなって。これは東京には居れないぞと思って、沖縄に行って。ひとりになっちゃってね。そこで始めたのがデジタルの世界だったんですね。だからそのデジタルの世界に助けられたといっても過言ではないですね。


──そこで自分の世界をシンガーソングライター的に突き進めていこうという風にはならなかった?

難波 :
んー。でも一応アコギ一本買って行ったんですけど、マーチンの。いざとなったらアコギ一本で人前に出て行こうって思っていたときもあったんですけど(笑)。というヴィジョンも一応ありつつ。でもいまとなっては(悩んだことが)よかったなって、思いましたよ。いろんな葛藤があったからこそ、それを乗り越えていけば、形になるってわかったから。だから、ハイスタが休止してからの夢っていうか。デジタルの世界を会得して、それを持ってみんなの前に現れるという夢をもったんですよね、そのあとに。その夢に向かって、本当に実際の話は本当に大変だったんだけど、小さな壁があり、大きな壁を乗り越えて、今ここにいるわけでね。バンドが解散しちゃって、メンバーがいないからもう音楽ができない、とか思う子たちがもし多かったら、そういう人たちにも、こういう方法があるよって教えてあげたい。今の時代はすごくいっぱい方法があるんだよって。それを今回自分で体験したと思います。


──なるほど。今回のアルバムを聴かせていただいて、ハイスタ時代の良さが、ハイスタ以降に培ってきたエレクトロニクス音楽のノウハウでちゃんと活かされていて、それがうまく融合して、再出発として非常に理想的な感じになっていると思いました。

難波 :
そうですね。やっぱり自分で会得したものというのはなかなか見失わないから、声であったり、ベース・プレイであったり、今回デジタルの世界。いろんなものを習得していって、これからも音楽活動を続けていけるという土台は出来たのかなって思いますね。そういう意味では、ものすごい達成感がありますね。今こうやって話していることもすごく嬉しいし、こういうことを胸張って言えているっていうのも、最高な気分ですよね。頑張ってきて本当に良かったなと。夢を諦めないでよかったなっていう。これが確立されて、だから健くんと恒ちゃんが参加してくれたわけで、またなんかクロスすることもあるんじゃないかと感じましたしね。それはいつのことになるのかわからないけど。


──さきほど、ファンのひとに心配かけちゃったかもしれないとおっしゃいましたけど、それだけにファンの方の期待もものすごく大きいと思うんですよ。それは、ご自分の中でどう受け止めているのですか?

難波 :
もう音楽で返していく、その想いを。ハイスタがいないモヤモヤみたいのを晴らすのは、健くんや恒ちゃんがやっていると思うけど、ぼくもやっぱ音楽でいくしかないって思ったんですね。


──どうやれば返せるんですかねそれは?

難波 :
やっぱ良い音楽を作ることかな。いろんなバンドがいて、いろんな人生がそれぞれあって。やっぱりみんな音楽やって生きているんですよね。みんな音楽が好きで、それをやめないっていう。みんな情熱は持って音楽を続けている。ぼくも同じです。変な話、これでシステムができたから、あとはぼんぼん打ち出すだけですよね。


──ファンの方の期待にこたえるという意味では、ULTRA BRAiNでは応え切れなかったという実感があるわけですか?

難波 :
それはそうですよね。うん。それはもう分かってて、ハイスタのファンが全員納得するとは思ってなかった。難波章浩ひとりでハイスタのファンを全員納得させることなんて、そんなの到底無理ですよ、やっぱりあのハイスタの3人が集まってとんでもないことになっていたわけだから。過去の自分とバトルして、それを乗り越える、もっとすごいものをやるって発想は違うんだなっていうことに気がついたんですね。若かったころの自分ってすごかったんだな、とか。昔のビデオを見て、こいつに負けないようにしようとか。過去の自分に負けないようにがんばろうっていうのは、あるけどね。今でも。だけどもちろん年を重ねていくわけで、その時々の……。


──勝負するポイントが変わってきますよね?

難波 :
でもジャンプ力はいまだにね。


──大丈夫ですか?(笑)

難波 :
なかなか打点は高いですけどね。MV見てもらえばわかると思いますけど。うん、意外にいけてるなみたいな。そんな大人になりたいですよね、早く。


──たとえば若いころの自分にはなかったけど、今はあるものって?

難波 :
ありますよね。愛かな(笑)。なんか、うん、やっぱ子供できて家族ができて、愛ってこういうことかなって。


──それで具体的に何が変わってきました?

難波 :
落ち着いてきた。いろんなことを乗り越えると落ち着くね。それができないときっていうのは、一番やっぱりいらいらするし。


──そのいらいらした部分っていうのは、その時々の音に出ていた?

難波 :
そうですね。ULTRA BRAiNの1曲目から強烈ですしね。だけどそのイライラ、自分の理想があるんだけどできない、まだまだかっていうジレンマ、それはとにかく沖縄の海行って、発散していた。


──ああ。

難波 :
やっぱり東京ってすごくレベルが高いところだから。ああ、なんていうのかな、そういう自分がまだこうイケてないなっていうときには、やっぱりすごくさびしい気持ちになる場所ではあるのかもね。でも自分の確固たるものが確立されていたらすごく、いろんなことが動いていくし、巻き込める感じがする。これだけの人が今日動いてくれているわけだから、難波ちゃんの音楽いいじゃんってなって、みんなが動いてくれているわけで。ぼくの音楽を聴いて、あの時何があったのかなとか、なにを乗り越えてきたんだろうなとか、そういうところを感じてもらって、ポジティヴに、前向きになってもらいたいっていうのが、今回のぼくの音楽のテーマですよね。


──今、世の中が不況のどん底で、若い人にとっては未来に希望が持ちにくいような状況になってますが、そういうことは今作に関係してますか?

難波 :
ありますね。自分もそういうときがあったし、壁にぶち当たってお先真っ暗みたいな。わぁこれ絶対に乗り越えられないでしょ、っていうところがあったから、何回も。「やばいか〜!」とかいって。だけど、そんなときはできるだけポジティヴなマインドを持つことが大切なんだと思いました。今そういう若者がたくさんいるっていうのは分かるんだけど、考え方次第ではまったく変わるぜっていうことは言いたいよね。自分が置かれている環境が面白くなかったら、環境を変えればいいし。ぼくにとっては東京から沖縄に行ったっていうアクションがそう。東京抜けるのは怖かったですよ、うん。正直、このまま帰ってこれないかな、とかね。いろいろあるわけですよ。でも沖縄の自然の中で自分がどんどん解放されて、アガっていくのがわかった。音楽だって、こんなプログラムができるようになった、こんなビートが作れるようになった、それでどんどんどんどんアガっていくわけですよ。気持ちが高揚していく。うぉー俺もどんどん作れるようになってるよって。その過程がULTRA BRAiNですね。そして、今回、いまの時点でできる限りのことをやって、できる限りのアイデアをそそいだアルバムなんで、すごく達成感がある。


──自分の音楽を確立できたという。

難波 :
音楽を確立できたとはまだ思っていないんだけど。がんばったからこそ、その壁の向こうにいけて、自分の音楽活動がまだあるぜっていうとこに行けたから。その歓びかな。歓びに満ちているアルバムだと思いますよね。その歓びをいま悩んで落ち込んでいる人たちに聴いてもらって、わけたい。そのパワーを。エネルギーを。本当に純粋にそう思っている。ああ難波ちゃんもがんばっているから俺もなんかやってみようかなって、本当にそう思ってもらえたらいい。この40分を聴いて、たまにこう、うぉーっと盛り上がってもらえたら、それだけで俺は最高なんです。その音楽の取り入れ方は何でもいいですよ。難波ちゃんやっているなって。俺もがんばろう。俺もちょっとやってみようって。日本っていま大変な状況にあるのかもしれないけど、そういうところを打開するのはやっぱり音楽とか、文化なんでしょうね。政治にもがんばってもらって、ぼくらはぼくらでできることを貫くだけっすね。突き進む。この先はどうなるのかわからないけど、とにかくやるだけっすね。


──その力強い言葉を聞けただけでもファンは喜ぶと思います。

難波 :
ありがとうございます。世界は君のものだよ!




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