<Bjorn Torske 『Kokning』 Interview>
――大変素晴らしいアルバムだと思いました。しかし、前作『Feil Knapp』のリリースまでに5年の歳月を要したことを考えると、今回のインターバルは3年。リリースまでの間隔は以前より早くなっているものの、やはり、あなたは腰を据え、時間をかけて音楽制作に取り組まれるタイプなんでしょうか?
Bjorn Torske:
僕の楽曲制作のやり方は、まったくシステマティックではないんだよね。「アルバムを作ろう」っていう意思を持ってスタジオに入ることがないんだ。新しいアイデアが浮かぶと、いつでもそれをスケッチして貯めておくようにする。そのアイデアが「これは使えるぞ」ということになったら、レコーディングを行うんだ。「もう充分だ」と感じるまで、曲の素案になるような、ベーシックな部分を作り込んでいく。そして、そのあとまた、当分のあいだ、そのスケッチやアウトライン的なものを一旦ディスクにセーブして、放置しておく。すっかり忘れてしまうくらいね。だから、僕のディスクは、いつだって「曲の元」になるようなマテリアルで溢れかえってる。相当な期間、放っておく傾向にあるね。何カ月とか、ときにはもっと長く放置することもある。そして、しばらくして再び聴き直すんだけど、その頃になると、放置していたマテリアルが、曲にできるようなものなのか、あるいはそうでないのか、判断するに足る充分な距離を置くことが出来るようになっている。こんなやり方だから、アルバム制作には、何年もかかってしまうんだね。ジグソーパズルみたいなもので、異なるピース同士が互いにフィットしていくのが分かるようになってはじめて、さぁ、アルバムだ、ということになるんだ。
――今回のアルバム以前、2008年にはRicardo VillalobosやLaurent Garnierがヘヴィ・プレイした16分にも及ぶフリーキーなミニマルトラック「Kan Jeg Slippe?」をリリースされていますが、突出した出来だったにもかかわらず、その路線でアルバムを作ることは考えなかったんですか?
Bjorn Torske:
「Kan Jeg Slippe?」のようなトラックは、もともと12インチのフォーマットにフィットするように作られたものなんだ。実際は、それが自分にとって一番お気に入りのフォーマットだったりもするんだけどね。12インチのための楽曲を作る際には、アーティストとしてより自由に、ディープな実験を試みたいって思っているんだ。こういうミニマル路線でアルバムを一枚作るというのは、大きなチャレンジだと思う。いつか挑戦する日がくるかもしれないけど、それには、12インチの両面を埋められるようなトラックを、少なくともヴァイナル3枚分は作らないとね。それでやっとアルバムと呼べるようなものになると思う。
――そんなダンス・トラックとは対極にある今回のアルバムは、そのマスタリング作業で担当エンジニアから「ノルウェーの人はこういう音楽で踊るのか?」と驚かれたそうですね。しかし、そんな作品のマスタリングの方向性に関して、あなたは「ダンス・ミュージックの音作りにして欲しい」という指示を出したそうですね。このエピソードは、今回の作品の秘密にかかわるものであるように思うのですが、その点はいかがですか?
Bjorn Torske:
僕が「スロウでアンビエントなトラックでオーディエンスをダンスさせることもある」というようなことを言って、(ベルリンのスタジオ)ダブプレート・マスタリングのエンジニアを驚かせたというのは本当の話だよ。僕は主にDJの現場で、単に人々をダンスさせるというだけでなく、音楽で場の雰囲気を作り上げるというようなことも含めて、音楽を勉強してきたんだけど、自分の楽曲をレコーディングするときも、同じようなマインドをもって臨んでいるんだ。だから、エンジニアにそんなことを言ったんだよ。
――本作のプロダクションに関してですが、Abletonや無数のプラグインといった今日的なソフトウエアを駆使しているわけではなく、それでいて、アナログ・シンセを多用しているようにも聴こえない独特なものがあります。使用する機材やレコーディング方法に関するあなたのアプローチや考え方を教えてください。
Bjorn Torske:
使ってる機材は、昔から変わらなくて、そんなに多くもない。キーボードが何台か、マック、ミキサー、エフェクター類。ソフトウエアよりも、そういったリアルな機材で制作するほうが好きなんだ。正直、ソフトウエアにはそんなに熱心ではないかな。Abletonは主にラップトップのライヴ・セットで使用している。ライヴでは重宝するからね。ただ、個人的な意見だけど、制作にはちょっと物足りない気もするね。幸いなことに、僕の周りにはいいミュージシャンやプロデューサーが多いんだけど、みんな、色々な楽器や機材を持ってるんだ。だから、足りないものは、彼らから借りて作ったりもするよ。そのおかげで、トラックごとに、様々な異なる環境で制作が出来ているというわけ。今回でいうと、スティール・ギターやコルグのMS-20、カシオのキーボード、それからタップ・ダンスのシューズなんかも使ったんだよ。
――今回の作品は異なるアンビエンスの部屋で録音した楽器をミックスで一つにまとめあげるという非常に緻密な作業を経て完成したということですが、イメージにあった音像やサウンド・プロダクションを敢えて言葉にするなら?
Bjorn Torske:
アルバム制作にあたって常々心に持っているのは、「DJセットを作り出そう」ということなんだ。つまり、クラブでDJをしているときに自分が体験しているようなムードやサウンドを反映させた作品を目指すということ。インスピレーションの源泉やクリエイティヴなアイデアは、時代と共に変わっていく。「DJセット」は、アルバムごとに、変化していくんだよね。でも、そういう「セット」を、落とし込んだようなものにしたいというのは、ずっと変わらず思っているんだ。
――しかし、振り返ってみると、1998年のファースト・アルバム『Nedi Myra』以降、あなたの作風はストレートなダンス・トラックから離れつつあるように思います。さらにノルウェーのダンス・ミュージックがコズミック・ディスコと呼ばれて、盛り上がりつつあった2000年代中期、端から見ると、そうした流れから一定の距離を置いていたようにも感じられます。かつて、『Nordic Chill』で北欧のダンス・ミュージックをまとまった形で紹介した先駆者であるあなたにとってのノルウェー・シーン、そしてその距離感についてどのように思われますか? また、DJの経験は作品にどう反映されていると思いますか?
Bjorn Torske:
確かに、僕はコズミック・ディスコと言われているようなスタイルの熱心なファンだ。Walter GibbonsやLarry Levan、Ron Hardyなど旧世代の絶頂期から最近のIDJUT BOYSやDJ HARVEYに至るまで、それからもちろん、Prins ThomasやTodd Terje、Lindstromら、同郷の仲間たちもね。でも、自分はこれまで様々な、とても幅広いスタイルの音楽に親しんできたので、何か特定の形式のもとに語られるのは、どうもしっくりこないんだよね。競争相手がいるとしたら、自分自身だけなんだ。他の誰かと競おうとは思わない。DJとして、この国のシーンにはとても深く関わってきたから、ここ20年で自分がやってきたことと同じくらい、ノルウェーのダンス・ミュージック・シーンには親近感を持っている。何が面白いって、とても色々なスタイルがミックスされているんだよね。テクノやバレアリック、ディスコ、そしてメタルだって、ここにはあるんだ。例えばドイツだったらそうはいかないだろう?テクノがかかってるクラブに入ったら、一晩中テクノ漬けさ。ダンサーたちはほとんど野郎ばかりで、ブーツとジャケットに身を包んでいる。こっちだと、そういう光景はまれだよ。さっきも言ったように、自分の音楽を形作ってきたのは、DJの現場だった。DJは、過去40年から50年に渡って生み出されてきた、あらゆるジャンルやスタイルのマスターピースを繋ぎ合せていくことによって独自のスタイルを構築していくんだ。自分の作品も、そういう視点で作られている。
――さらにいえば、ノルウェーのダンス・ミュージック第一世代のあなたやRune Lindbaek、Mungolian Jetsetとして知られるDJ Strangefruitは、コズミック・ディスコの基礎となる作風を確立した方々であるにも関わらず、Runeはアンビエント・ミュージック、DJ Strangefuitもジャズやよりプログレッシヴなトラック、いいかえれば、一筋縄ではいかないオルタナティヴな作風へとシフトしていってるのは何故なんでしょう?また、今のあなたにとってのダンス・ミュージックとは? ビートやグルーヴはあなたの音楽においてどんな意味を持つものだと思いますか?
Bjorn Torske:
僕が思うに、LindbaekもStrangefruitも、本当はダンス・ミュージックそのものなんじゃないかと思う。でも彼らは経験豊富で、レコードのコレクションも膨大だし、クリエイティヴなアウトプットのレヴェルが、どんどん高くなってきているんじゃないかな。どういうことかというと、70年代からダンス・ミュージック・シーンで起こってきたことのほとんどを見聞きし、経験してきたので、新しい組み合わせやこれまでとは違う視点をトライしなければならないんだ。そうしないと、過去の焼き直しや単純なループの罠にはまってしまうから。ビートやグルーヴは今でもポピュラー音楽の大切なバックボーンだと思うよ。ドラムレスなトラックを作ったとしても、それは重要だ。例えばCaptain Beefheartの『Trout Mask Replica』なんかがいい例だ。そして、もしドラムがなかったら、このアルバムは出来ていなかったんじゃないかな!
――あなたは80年代にヒップホップと出会い、その後、デトロイト寄りのテクノ、ドラムンベースと音楽性を変化させていきましたが、90年代中盤にディスコの深い森へと足を踏み入れたきっかけとは? また、コズミックやバレアリックも含めたディスコはあなたにとってどんな音楽ですか?
Bjorn Torske:
ヒップホップや初期のエレクトロ、80年代シンセ・ポップと出会って、12インチのシングルというフォーマットに興味を抱くようになったんだ。そこから、シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノにいった。デトロイトとの出会いは、特に重要だったね。ディスコは、サンプリングを通して少しずつ知っていった感じだった。あるとき、Strangefruitと出会って、彼がニューヨークのアンダーグラウンドなものを色々と教えてくれたんだ。プレリュードとかウェストエンドとかね。当時中古のレコード屋をあちこち飛び回って安いシールドの12”を色々と買い漁っていたんだけど、Larry LevanやFrancois Kevorkianがリミックスした曲の入ったシングルを、たくさん見つけることが出来たのを覚えている。ノルウェーにブームがくる前だったから、ただ同然の値段だったよ。当時はもう、ハーヴィーやブラック・コックのエディット、NoidやU-Starなんかのレーベル、それからSimon Lee(FAZE ACTION)のプロジェクトを出してた一連のNuphonicあたりをフォローしていた。「ディスコ」という言葉は、シーケンサーを使ってプログラムされた「ハウス」とは区別して使っていた。「バレアリック」と言われると、アシッドハウス期を思い出すし、あと「コズミック」というと、Mystic Moodsの「Cosmic Sea」だね。
――そうした音楽的な変遷は飛行機で2時間の距離にあるUKのシーンと足並みを同じくするようなところもあったんでしょうか? 特に90年代中期以降、頻繁にやってきてはプレイしていたというDJ HARVEYやIDJUT BOYSがノルウェーに蒔いたサイケデリックなディスコの種が今日のノルウェーのシーンにとっては大きかったとも言われていますよね。
Bjorn Torske:
そうだね。さっきも言ったように、IDJUT BOYSやDJ HARVEYの影響は、確かに大きい。それは単純にノルウェー的な見地からだけではなくて、世界的にみても、そうだと思う。彼らが現在進行形のディスコ・サウンドに及ぼした影響は、計り知れないよ。彼らがいなかったら、今みたいなシーンは出来あがっていなかったと思うよ。
――また、1998年のファースト・アルバムから現在に至るまで、あなたのアルバム・タイトル、曲タイトルにはノルウェー語が使われています。インターネットでグローバルに情報が共有される時代にあって、facebookやMyspaceに対しても熱心とは思えないあなたが考える「音楽とローカリズム」とは?
Bjorn Torske:
確かに、僕は英語もちゃんと話すことが出来るんだけど、ノルウェー語が母語だしね。リリックを書いたりする身ではないから、唯一、そういう意思表示ができるのが、タイトルの部分なんだよね。誰もが曲やアルバムのタイトルで英語を使うことが出来るから、逆に、ノルウェー語を使うことは言語学的にチャレンジングだったりするのかな、って。
――そして、特に前作『Feil Knapp』や今回の作品に顕著ですが、クラウト・ロックのフリーキーな反復性、ダブやレゲエのトリッピーなユーモア、ある種のフォーク・ミュージックが醸し出す体験したことのないノスタルジーやMartin Dennyに代表されるイージーリスニングのフェイクな異国性が作品をユニークなものにしているように思います。普段どういった音楽からインスピレーションを得ているのでしょうか?
Bjorn Torske:
子供の頃はTHE BEATLESを聴いていた。そのあと、ロックンロールやヘヴィ・メタルを聴いて、10代の頃から、エレクトロニックな音楽に傾倒していった。その頃から、どんな音楽でも、フレッシュだと思えるものを、吸収していくようになった。例えばダブやレゲエ。これらの音楽は、サウンドシステムとかディージェイとか、ダンス・ミュージックの文化的な観点から言っても、非常に重要な部分を担っているね。クラウト・ロックも、CANとかKRAFTWERK、FAUST、それからClusterなんかは見過ごせない。Brian Enoは、それこそエレクトロニック・ミュージックを聞き始めた初期の頃、Sun Raみたいな広い意味でのジャズと同様に多大な影響を受けたアーティストだ。Count Ossie & The Mystic Revelation Of Rastafariの『Grounation』にも、大きな影響をうけたね。あとMOONDOG、特に50年代の音源からは大きな影響を受けている。他にも、Grace Jones、PRINCE、The Residents、P.J.Probyとかとか、挙げていくときりがないね。
――なかでもダブやレゲエは、あなたの音楽を考えた時、その影響が非常に大きいように思います。ノルウェーとは真逆の非常に暑い国で生まれたダブ・レゲエに馳せる思い、またそのオルタナティヴな解釈について、どのように思われますか?
Bjorn Torske:
ドラムとベースをことさら強調したあのサウンドは、あらゆるダンス・ミュージックの基礎をなすものだと思う。「ウォール・オブ・サウンド」の対極だよね。サウンドシステムとか、それを利用したイヴェント・プロモーションとかもまた、現在のダンス・ミュージックのベースになってると思うんだ。イギリスでハウスが発生したときも、そういう要素がベースにあったからこそ、広まっていったと思うんだよね。僕の最初のハウス体験も、ロンドンだったしね」
――そんな近年の作風をして、あなたはご自分の作風を"Coastal Dub Sounds for Kids"とか"Skrankle-House"といったトリッキーな形容をされています。それらがある種の冗談であることはよく分かるのですが、もう少し補足していただけますか?
Bjorn Torske:
実際、僕は海岸沿いに住んでるんだ。海沿いに住んでいるというのは、僕にとっては、とても重要なことなんだよね。あと、キッズはたいがい音楽好きだよね。そして僕はダブ好きで、音楽を作るときはたいがい、その手法を利用する。"Coastal Dub Sounds for Kids"というのは、そういうところからきているんだ。それから"Skrankle"というのは「ガタガタ音を立てる」というような意味だよ。だから、"Skrankle-House"は、文字通りで言うと、「ガタガタ音を立てるハウス・ミュージック」ってことだけど、まぁ、「ストレートではないハウス」っていうくらいにとってもらいたい。クリーンだったり、ミニマルだったり、そういうものの反対だね。
――最後に。あなたの音楽は、色んな音楽に接してきたリスナーにとっては様々な角度から楽しむことが出来る作品だと思いますが、あなたの音楽を初めて聴くリスナーに楽しみ方のガイドをお願いします。
Bjorn Torske:
ハハハ、最後に来て、いちばん難しい質問だねぇ。音楽は、リスナーそれぞれが見つけるものだからね。好きだと思うから、聞くんだろう? 僕自身も、以前、聞いたことがない音楽に接したときというのは、たいがい、そういう状況だったよね。例えば、ロンドンの海賊ラジオで初めて耳にしたトラックがあるとしよう。その場ではスルーしてしまったとしても、あきらめずに探すんだ。そしてレコードで手に入れる。テープでしか聴けなかったような曲でも、同じようなことがあるよね。いまでも、それこそ20年くらいずっと探し続けてる曲だってある。僕はいつだって、そういう風に、音楽を掘り続けていきたいと思ってるんだ。音楽ビジネスの世界における事情とかはどうでもいい。ジャケがなくたって、レーベルがダサかったとしても、あるいはアーティストの名前が変だとしても、音楽それ自体がよければ、どうでもよかったんだよ。そんな風に、自分がいいと思う音楽を見つけていって欲しいよね。
