新作完成まで密着!! AA= Special Contents
Member Interview Vol.3 Takayoshi Shirakawa
AA=メンバー・インタヴュー第3弾! 今回はヴォーカリスト白川貴善。
それぞれのバンドで90年代シーンのど真ん中を突っ走ってきた二人がどのように出会い、バンドを組んだのか。そして今、彼らがどのようにAA=のサウンドを作り出しているのか。いよいよリリースの迫ったスプリット・アルバムの制作時の話とあわせて2人に話を訊いた。
前編・後編と2回にわたり公開します。今回は前編。

後編はこちらから!

Interview & Text : New Audiogram
Interview Photos : Ryo Nakajima (SyncThings)
90年代、お二人ともバンドをやっていましたが、お互いに存在を知ったのはいつ頃ですか?
俺はもうずっとバンドやってたから、世代的には前の世代で……(彼が出てきたのは)だいぶやってからなので「若い子たち出てきたなー」って感じでしたよ。この世代の感じってあったじゃないですか「原宿?」みたいなイメージというか、小綺麗な子たちがいっぱい出てきた(笑)。あんま泥臭くない感じ。その中心にいたよね、この人(笑)。
いたよねー。
あはは。バック(BACK DROP BOMB)は1stから聴いてました?
うん、1stの頃から知ってるね。あのー「ランディ・サヴェージ」(BDBの1stアルバム1曲目の歌詞の一節)の頃から知ってる。
ランディ・サヴェージ。
なんでランディ・サヴェージなんだろうと思って。好きだったのかな?(笑)。
それを聴いて、どう思いました?
ここ(のシーン)の人たちのパワーがあったからね。新しい波というか、「みんなキテるなーっ」と思った。その中でも(BDB)はガッツリ系だったから、メロディ中心の子たちもいたけど、(BDBは)どっちかというとリズムとかリフとかヘヴィな感じで、ラップしてたりして……聴いてましたよ。
タカさんは、剛士さんの存在を知ったのはいつ頃ですか?
んー、さっきのランディ・サヴェージからも繋がると思うんですけど、TVK(テレビ神奈川)という共通項がありまして……TVKで(マッドを)観たのが最初かな。
それってバックをやる前でしょ?
たぶん、そう。
バック始めたのいつぐらい?
バックは19(歳)くらい……94年とか。でも、そのころバンドをあまり知らなかったんで、ほんとに。
それちょうど海外行ったりしてる時?
戻ってきて、東京住みだして、ちょいちょいバックのメンバーが集まり始めた頃。
俺らは90年くらいからやってるから、アルバムを3枚、4枚出してる頃かな。
うん。さかのぼるとその時期で……でもそういうロックから全く離れてたから、小6の時のBOOWYで一回止まったりしているので。
BOOWY通ってんだ?小6で?(笑)
あはは。
それはそれで面白いな。
『BEAT EMOTION』ぐらい(笑)。
リアルタイム?解散してたでしょ?
解散してた。あ、話ズレたね。
あはは!あ、はい。
でも、(マッドを)知ったのは、たぶんバックが始まったくらいのタイミングだと思う。
面白いよね。(児島)実は一緒にやってきたし、あっくん(金子ノブアキ)は小学生か中学生でそんぐらいだし、タカがちょうど間くらい……ホントにバラバラだね。
鳥取砂丘系的な時(笑)。
帰国子女的な感じで(笑)。
だから、その当時見た剛士くんのカッコが違うのよ。
なるほど。だからお互い知らなくとも、お互いの音は何かしら聴いていたという感じですかね。
俺、(BDBの)CDで持ってるんだよね……誰かがくれたんだと思う、特に繋がりがあった時ではないんだけど。
俺が(マッドを)最初に聴いたのは、みなさんがイメージしているマッドのもう一個前のヤツですね。もっとロックっぽいというか、パンク寄りというか。クレイっちゅうか(笑)。
ちゅうか(笑)。
そんな時代のヤツだから、最初はストレートなロックのイメージから……そのすぐあとだもんね、大きな改革がおこなわれたのが。その時はビックリしたのは覚えてるなぁ。だから、最初は全然(同じバンドだとは)一致しなくて、「これプロレタリアなの?」って!(笑)
あはは!鳥取砂丘なのって?(笑)……一応説明しておくと(マッドの)プロレタリアって曲のPVが鳥取砂丘で撮ったみたいな映像っことね(笑)。
ごめんね、俺、話めんどくさいヤツだから(笑)。
これ説明しないとなかなか伝わらないから(笑)。剛士の注訳ってことで入れといて。
お互いに存在は知っていて、音も聴いていた訳ですが、実際の接点が出来たのはいつ頃なんですか?
いつ頃なんだろう?
対バンも全然してないしね。
DEVILOCKとかそういうイベントに誘われて出るようになってから、みんな集まっているところにお邪魔しますという感じで……そこに(白川が)いるって感じだったと思う。そういうところでCOCOBATの坂本くん(TAKE-SHIT)とかから、みんなを紹介してもらって。そこで一気にみんなに会って、そのあとからこの人はこのバンドの人だとか区別がつくようになった感じ。
98年頃とかですか?
もうちょっと前じゃないかな。
MILK(恵比寿にあったロック系クラブ)でもやってたイベントとかにも何バンドかで出たりしたね。
あとは個人的にはユイ(音楽工房:マッドの当時の所属事務所)の人(マッドのマネージャー)を知ってて……あ、そうだよ!マッドのCITTA'でのパーティーに呼んでもらって俺DJやったことある!
そうそう!来てもらってる。
MADHOUSE(マッド主催のイベント)ですか?
エリックB&ラキムかけてドン引きされたの覚えてる。
実際対バンは1度もなかったんですか?
2バンドだけではないね。
イベント、フェスくらいかな。
その時のお互いの印象はどうだったんですか?
俺は単純に「若い子出てきた!きてるねー!イキオイあるね!」って感じでしたね。バックは衝撃的でしたよ、バー、バババーって感じで。
インタヴューで「バー」が一番伝わらない。その長嶋茂雄的なの(笑)
あははは!ドバーっときてズバーっとなってズドーンってさ!(笑)
お互いにライヴ行ってたりしたんですか?
なんか誘われて行ってみるといる、出てるみたいな感じ。
そういう繋がりだったのが、マッド休止してAA=をやろうとなった時になぜタカさんを誘ったんですか?
もともとヴォーカリストを探してる時、どんな人がいいかなと考えた時に(歌の)幅が広い人がいいなと思ったんですよね。いろんなことをやれる、引き出しをいっぱい持っている人で、あとは自分の中に無いタイプというか、新しいものというか……ヒップホップやラップのイメージ、ちょっとレゲエぽかったり、そういうのは自分の中にあんまり無いから、ちょっと面白いかもと思っている時に、タカも俺も曲を提供したコンピ(代官山のガールズ・ブランド「Katie」の10周年記念コンピレーション・アルバム)があったんです。そのリリース・パーティーかなんかでタカと飲みながら話をしていて、流れで「今度剛士くんがトラック作って、自分がラップしてなんか作ろうよ」って話がちょうどあって……その後、ちょっとやってみるのはどうかなと思って、後日あらためて「やってみない?」って話をして。
それはAA=始める前ですか?
AA=始める時だね。実とかあっくんとかはAA=やろうとする前から話していたけれど……ヴォーカルっていうのはやっぱり(バンドの)顔になる部分だし、自分でもチャレンジしたいところもあったし。
その時はAA=はこういうサウンドやろうというイメージは頭の中にあったのですか?
もちろん自分の音楽だから自分らしさが中心にあるんだけど、始めた時はまだ見えない感じでしたね。
タカさんにはこうやって歌ってもらいたいとか、こうしてほしいとかありました?
漠然とだね……あるって言えばあるし、でも割と預けたいという気持ちもあったり。どういう風にくるのか見てみたいというか。逆に自分が言っちゃうと、たぶんいろいろ合わせちゃうから、そうじゃなくて一回出かたを見てみたいというのがありましたね。
タカさんは剛士さんからオファーを受けて……
その頃はよくメシ行ったりちょこちょこ会ってて、そこで新しいものをやるという話を聞いて……俺として出来るのは……例えばマッド(みたいなの)をもう1回やるとか、そういうスタンスもののだったら、俺は違うだろうと。でも、そういうのじゃなくて新しいものとしてのスタートという話だったんで、じゃあ参加しますということで。当初話振られたのは答えたのはそんな感じだったかな。
逆に違うのをやりたいという気持ちもあったし、マッドというものは端っこに置いといて、違うことにチャレンジしたいというのが自分の中であったんで。でも、もちろん自分の振り幅の中にあることだから、要素としては絶対に入ってくるとは思ってはいたんだけど。
なるほど。で、そういう話になって一緒にすぐスタジオ入ったんですか? それともトラックのやり取りとかしたんですか?
あー、どうだったんだろう?いきなりスタジオ入ったような気がするけど。俺と実とあっくんでジャムってるスタジオに遊びに来たりはしてたよね。
うん。そうだね。
こんな感じでやってます。でもまだ曲がないからやることないですみたいな……だから本格的に動き始めたのはレコーディングになると思う。俺が曲をあげてきて、(メンバーに)ポイと投げて、タカがレコーディング・スタジオに来てどういう風に歌うか。
AA=の曲はタカさんに歌ってほしいメロディラインとか指定はしているんですか?
あのね、タカの部分は、一応デモの段階で「ラララ」で適当には歌ってあるんだけど、この通りにやってという訳ではなく「タカの入るところはココです」みたいな感じで、あとはタカが自由に。たぶん「PEACE!!!」最初かな。
うん、「PEACE!!!」が最初だね。あれは完全にフリーだった。
「ココからココの間がタカのスペースです」みたい指定して、そこをタカが作って持ってきてくれる感じ。最初はそういう作り方でしたね。
歌詞もそういう感じで作っていくんですか?
うん。俺の部分は俺の歌詞があって、自分のテーマにそって。歌詞プラスイメージ、言いたいことがあって、それを投げて、それにタカが自分が反応した感じで書いてくる。これは今の作り方とあまり変わりないね。
そうだね。
タカさんはそういうバックとは違う作り方はどうですか?
まず(バックと)違うからやりやすいというのがあって。例えば英語の言い回しも変えられるし、歌詞のテンションも変えられるし、さらにいうとキャラクターも変えられるっていうのがあるんで。
だからタカも(いままでやってきたこととは)違うことやって!という感じもあって。今までタカがやったことないであろうことも「こういう感じ、どう?」ってやらせてみたり。
だって、まず叫ばされるからね(笑)。
(笑)
居酒屋でしか叫んだこと無いのに(笑)。
(爆笑)
バックは大きいリズムというかグルーヴがあるけど、AA=は直線的でタイトなビートですよね?
大変でしたよ。
その上に歌を乗っけるのは全くの別物ですよね?
全然違う、全然。だからそこらへんはやってる最中にどんどんテコ入れされますね。そこが多分今までやってたものと全く真逆のものだと思います、タイム感が。
自分がもしヒップホップみたいなものの要素を出すとしても、いわゆる黒人さんがやっているヒップホップではなく、それを聴いて影響を受けて始めた違う人種の人がやっているようなものだから、クロスオーヴァーというか、ちょっとホンモノとは違うみたいなのが好きで、ちょっと壊れているみたいな感じのもの。
その違和感がまた新しかったり、かっこよかったりしますよね。
自分の中でいろいろな音楽の良さを合わせていくのも、そういうのがあってやっている気がします。まんまメタル、まんまパンクだと聴くものとしては好きなんだけど、自分がやるとしたらなんか物足りなくなってくるから、そういうのを掛け合わせていくんだけど、すでに掛け合わせたものもあるじゃん、世の中に。それじゃつまらないんだよね。違う掛け合わせ方をしたくなってきて、それをやってきたのが、今の自分の音楽人生というか……。
上田節。
だから、上田節も(タカにとって)相当大変だったと思う。最初は全く分からなかっただろうし。最近はね、ちょっとずつ分かってきてると思う、さすがに。
そうやって新しいものが自分の中に入ってくるわけですが。
そういう意味では大変だね。やっぱり人の音楽観をやる訳だから。んー、なんて言うんだろうな……じゃ、例えば「ヒップホップやります!黒人なりたいです!イェイ!」ってノリでは、たぶんそれは出来ないだろうけど、でも出来ないという意味が違っていて……こっちは世界観の中のひとつとして取り組んでいるものだから、そこには柱としてそういうタイム感があったりとか、結構それに大きく左右される音楽だとは思うので、そこをある程度キャッチしておかないと自分も出せない。
それはあっくんも言ってたからね、やっぱり大変なんだと思う。タイム感とかリズム感、リズムの解釈の仕方がちょっと違うっていう。
だから立場が逆になる作業があったら、もうこれは……。
爆笑
そういうことはやんないでね(笑)。
後編はこちらから!
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