おひさしぶりです。やっと現像が終わりました。
ではいきなり。
どどーん笑
巷を賑わしている、渦中のあれです。
そして大都会のすぐ隣は
こんないかついライブハウス笑
こーぞーマン
色あせない記憶。
初撮影は5日目。
治安にびびりすぎて街中でカメラ出せなかたです…
じゃなくてこっち ありがとうございました
この家はぬこも居たんだけどめずらしくなつかれた
Cleveland 通りに佇む家々がどれも美しい。庭も広いしこんなとこ住みたいなー良いところだなーて思っていたら、道端で犯罪者が警察官に取り押さえられてるところをイザワが発見した。リアルにガクブル。
そういえばアメリカって周知のとおり車は右車線を走るけど、信号が赤でも右折OKなんですよ。日本で考えたら常に左折可ってことか。歩行者少ないしこれは合理的だなーと思いました。あと、興味深かったのが小さい道でもひとつひとつ、それぞれの道に名前が付いている事です。NYはリンカーン通りとかあったね。車1台しか通れないようなとこだったけど。固有名詞を覚えるのが上手い欧米人ならではだと思いました。
長距離ドライブお疲れ様です山崎さん。もう車は縁石に乗り上げたまま放置だぜ。
アメリカに行って、mikeがたくさんの人に好かれ慕われるのを何度も見て本当にレジェンドなのよねー、それを感じながらも本物の現役バリバリのパンクロッカーなんだってことを改めて思い知らされました。本当にこの年で20代のおれらと同じように、いやそれ以上にハードなツアーを続けている。さらにマットレスの無いソファーやフロアで寝てるっていう。ひたすらみんなを楽しませる話をし続け、誰よりも遅く寝て誰よりも早く起きる。起きたらみんなにコーヒーを作って、次の町まで自ら運転する。マネージャーはつけないって話は聞いてたけど、ライブのブッキングも自分でやっててライブハウスに貼ってあるタイムテーブルの今日のイベンターの欄にはmike wattって書いてあって笑った。どれだけすごい人なんだ。
本当に尊敬しています。
とりあえず第1部ってことで。あと数枚撮ったはずなので現像できたらまたアップしまーす。
ツアーも終わり、一段落しました。
よく言われるインフルエンザですが、僕らが帰って来て、日本での感染が確認され、僕らが大阪に行った時、関西地方でインフルエンザの局地的猛威をふるっていたため、僕らが持って来たんじゃないかと錯覚してしまうくらいです。
今や潜伏期間も終え無事バイトも再開しました。
アメリカを振り返って、一人づつ更新と言う事になりましたが。みんなの言ってる通りです。構造くんとノン君の振り返り日記を見て、そうだったなーと逆に思い返してみたり。
海外から帰って来て、二度日本でライブをこなしてきました。
今までいつも見てくれた人たちがかっこ良くなってた!って言ってくれた事が嬉しかった。というかやってる側からしたら成長してるかどうかってわからないもんだよね。
いつも見てくれてる人たちが楽しんだんだったらそれは成長したって事でいいんだろうなと思う。
バンドってものは楽しいよね。再確認してまた前に進んでいこうと思った。
小さな友達ができました。
彼らの背中は偉大でした。
何度も声高に申し上げているとおり、アメリカツアーは大成功に終わったと思っています。
貴重な機会を、mike watt + the missingmen、本当にありがとう。
前回書いたときにツアーはまとめたつもりだったので、今回は違う視点からまとめてみます。
まず、今回特に感じたこと。
それは、「アメリカは日本だった」いや、「日本がアメリカ」だった、ということです。
そんなことを言うと、ギターなんか弾いてないで地理を小学一年からやりなおせ!なんて声が聞こえてきそうですが、耳にフタ。パタッ。
LITEとして今までヨーロッパ方面へ3回行きました。
ヨーロッパへ行ったとき、まず、驚いたのは味覚の違いです。
もちろんおいしいものも沢山あるのですが、なんか異常にしょっぱかったり、味が全くついていなかったりしたものを食べることがおおく、(車移動ばっかだったのもあります)しかもそれを、大口開けておいしそうにほおばっているヨーロッパ人を見たときに、俺とヨーロッパ人の間に見えない壁を感じることがありました。
しかし、どうでしょう。
今回、アメリカ行きの飛行機で機内食を食べたとき、まず全員発した言葉は「ウマッ!」でした。本土へ着く前の機内で突然、人種間の壁を越えてしまったのです。
アメリカへ着いてからは、車移動でハンバーガー、サンドイッチの毎日でしたが、「MAC」「BURGERKING」「SUBWAY」と日本でお馴染みの店舗ばかりなので、抵抗は一切なかったです。
町へ出れば、TOYOTA、NISSAN、と日本車で道路はあふれかえり、信号機はいわゆる日本の信号機にそっくり。違うのは右車線を走るということだけ。
そして、極めつけは、電源のコンセントです。
ヨーロッパは電化製品のコンセントがありえない形をしています。異常にデカかったり、穴が斜めになっていたり。ヨーロッパ内でも国によって形も電圧も違うのです。だから、ヨーロッパでツアーを回るとなれば、その国専用の変換機を持っていかなければならないのです。
しかし、これまたどうでしょう。
確かに日本は100V、アメリカは120V。でも違いはそれだけ。コンセントの形は全く同じなのです。
つまり日本の電化製品は変換機なしでそのまま使えてしまうのです。根本からアメリカなのです。(ヨーロッパでは、イギリスとアイルランド間で同じコンセントを使用しています。これまた戦争という歴史があるのですが。)
そこで、こう思うわけです。
「なるほど、日本はアメリカなんだ」と。
「国単位でアメリカナイズドされているんだ」と。
「50年前、日本はアメリカに負けたのだ」と。
ツアー中、全会場で、ライブを終えると物販にいる俺たちに必ず客の半分以上が「よかったよ!」「絶対また来いよ!」って話しかけてくれるアメリカ人。CDも文字通り飛ぶように売れました。
不思議なことに、その陽気さ、フレンドリーさ、ツアーの充実感、そしてこのフィット感。これらは、海外で初めて感じるものでした。
アメリカはデカイ国でした。