2010.3.23 (tue) @ Shibuya O-EAST, Tokyo
若者の街、渋谷に似合わず、集まった観客の平均年齢はかなり高い。スーツ姿の男性たちは、入社数年目の20代はもちろん、今や責任ある立場になって部下もいて、ふつうに家庭や子供もあるのだろうという中年層まで。ガキ向けのパーティ・ソングなど作らないeastern youthのことだから、その光景は簡単に想像できるものだと思う。しかし、シャツをまくりあげた彼らが子供のように拳を突き上げ、怒号に近いくらいの声を上げて「うぉぉぉぉ!」と叫んでいたことは現場にいた者にしかわからない。決して若くない彼らが渇望していたのは、同じく決して若くはない吉野寿の元気な姿だった。
昨年秋に一度白紙となったツアー"極東最前線 / 巡業~一切合切太陽みたいに輝く~"。入院と自宅療養を経て復活した吉野は、タイトルを"極東最前線 / 巡業~ドッコイ生キテル街ノ中~"と変更し、自分自身はもちろん、バンドにも活を入れ直したのだろう。少し痩せたその首には、声を出す瞬間にはっきりと太い筋が浮き上がっているのが遠くからでも窺える。脈打っているのは血液だが、"この歌を届けるための精神力"のようなものが彼の全身を駆けめぐって、喉元をドクドク突き動かしているようにも見えてしまう。本当にエモーショナルとはどういうことか。真に一生懸命とはどういうことか。"いつだってそれは簡単なことじゃない"という歌詞を全力で体現する姿は、なんというか、とにかくこの瞬間を目と耳と心に焼き付けないと絶対に後悔するという切迫感を覚えるものだ。なぜなら明日死んでしまうかもしれないから。吉野がそうだったように。そして自分たち自身もそうであるように。
凄まじかったのは中盤。「温かくなってもう夏みたいだな」、という一言から始まった「夏の日の午後」「砂塵の彼方へ」、そして「黒い太陽」へと続く必殺の夏ソング(安っぽい言い方で申し訳ない)だ。eastern youthには夏の歌が多いが、それは吉野いわく「夏は乗り切るのに体力がいる季節だし、ものすごくエネルギーが渦巻いている」から。しんみり郷愁にふけっているヒマなどない、ギラギラできる体力がある限り全力でギラギラせねばいけないのだ、という覚悟が、今再びこれらの曲に凄まじい説得力を与えているのだろう。そろそろ咲き始めた桜をアンプの上に飾っていた吉野だが、彼の背景には桃色の花びらなんかじゃなく、ギラギラ輝くドス黒い太陽が宿っているように見えた。
最後に「あんた誰? 俺、吉野。俺は吉野だけどあんた誰? ……俺はそういうことのためだけに歌うことにした!」と吉野寿は言った。それは当然、お互いを紹介しあってコミュニケーションしましょうという意味ではない。俺は俺のことを徹底的に追求する。あんたもそうしろ。生きている限りできる限り後悔のないように自分を生きろ。そういうメッセージと共に響いた本編ラスト「角を曲がれば人々の」が震えるくらい感動的だった。
Text : Eriko Ishii
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